シャワーは冷たかったおやじの総括…シャワーは冷たかった企業は自ら担ってきた共同体の役割を放棄した。終身雇用を支えた年功序列に成果主義が取って代わり、リストラのシャワーを浴びたあと、共同体幻想は完全に潰えた。 安心を求める国民に国が提供したのは…ナショナリズム。この媚薬に酔えばいつしか不安も解消する。かくして市場主義と国家主義が並立する新自由主義がこの国にも成立した。 ところがすぐ直面したのが格差問題。国家による資源の再配分機能に焦点が当たることになった。つまりは、国家=市場の番人でいいのか、あるいは、市場で淘汰された弱者の面倒を見るべきなのか。 これは、つまるところ、市場の役割をめぐる定義の問題だ。ところが、論者によって、定義が違うので議論はかみあわない。 内政においては資源の再配分が政治家の仕事のはずなのに、いまの政治家は、そんな基本的なことさえ押さえていないかのようだ。そこを押さえていないから市場の役割をめぐる定義がさだまらない。結果として格差問題に対処できないのは当然だ。 要するに、マーケットメカニズムは手段だとはわかっていても何の手段なのかがわかっていなかったということだ。 そんなことだから元々出来の違う官僚はもちろんのこと、抜け目ない経営者団体にもいいように利用される。そうして結局のところ国民をどうあざむくかばかりに神経を使うことになる。 あほの安倍はほんまにあほである。 2006年12月28日 根賀 源三 ジャンル別一覧
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